#05NAO

このインタビュー記事は、アーティストがライブ中の短い時間じゃ語れない、ライブ中じゃ分からないプライベートな部分に触れて深い部分での共感ポイントを引き出すことでより本人の魅力迫る事を目的としたコーナーです。

 

NAOプロフィール

アーティスト名:NAO
身長;170cm
体重:70kg越えないぐらい
血液型:AB

空調の電気工事をやってます

──NAOさん今日はよろしくお願いします。NAOさんとは何度かお会いして話したことがあるのでぼくは知ってることもあるんですけど、改めて今回お伺いさせていただきますね。NAOさんは普段何をされていらっしゃるんですか?

よろしくお願いします。

普段は専門学校に通っていてイベントの勉強をしています。

──イベントの勉強って何を学ぶんですか?ぼく独学で始めたんで凄いそこ興味あります。

パソコンを使った事務行を含め

実際にイベント当日のお客さん回し方ですね。

簡単に説明するとチケットのもぎりから物販からお客さんの案内から当日の警備まで含めて学びますね。

結構大きい会場を想定して勉強することが多いです。

事務業だとタイムスケジュールをどう組むかとか

予算がいくらになるかとか

警備を付けるとしたら何人必要でどこに配置したらいいとか

全部図にして出さなきゃいけないんですけどそういったやり方とか

イベントを運営するにあたっての考え方やフォトショップやワードなんかを使って

書類の作り方だとかフライヤーの作り方だとかを勉強しますね。

イベントに関することを学びながら歌に関することも学んでたりします。

──確かNAOさん上京してきたんですよね?どこから上京されたんでしたっけ?

僕は長野から上京してきました。

そんなに遠くじゃないので新幹線で割とすぐに帰省できますね。

──親元を離れて上京してるってことは普段学業と合わせてアルバイトとかもされてらっしゃるんですか?

アルバイトは今飲食関係の仕事をしてます。

日本料理店とBARの二箇所掛け持ちしています。

日本料理店っていうと格式高いイメージだと思うんですけど

日本料理をカジュアルに楽しむっていうコンセプトのお店なので髪型も割りと融通効くんです。

BARはみんながよく「○○バーなう」って呟いてるあの場所の新宿店で働いています。

 

生まれつき耳が悪い

──そうなんですね!じゃあ音楽的な質問に入らせて頂きますね。どうしてこの世界に入ろうと思ったんですか?

ぼくは難聴なんですよ

普段は補聴器をつけて生活してるぐらい悪いんですよ。

小学校から10年ぐらいですね、高校2年生までサッカーをしてたんですけど

この高校のときに部活の面々とクラスメイトの人にいじめにあいまして

学校を辞めざるをえないぐらいの状態になって

通信高校に転校しなきゃいけなくなったときに

ぼくを励ましてくれたのがボーカロイドだったんですよ。

ボーカロイドの歌詞とか曲調とかが自分自身と重なって感じたりすることがあって

すごく勇気付けられました。

歌うことは父の影響で昔からミスターチルドレンが好きで

小さい頃からずっと合唱団みたいなところで歌ったり

文化祭の有志に参加してみたりだとかでもともと好きだったんですけど

音楽に入り込むきっかけになったのはサッカーを辞めたことで出来た時間と

その時、励みになったボーカロイドって音楽だったんですよ。

ボーカロイドは小学校六年生のときに友達から「これ良いよ」って進められて

代表曲が入ったCDを借りたことから知ってたんですよ。

中学校二年ぐらいのときまで、実は僕AKBのファンでゆきりん推しだったんです。

──ホントですか!!?じゃあスタッフの志田とめちゃめちゃ話し合いますよ。アイツ超気持ち悪いぐらいドルオタなんで(•ε• )

AKBに夢中だったのでボカロとはちょっと距離があったんですけど、あるときAKB熱が薄れたときにスッとボカロが入ってきて、そのときに歌い手って存在もセットで知ったんです。

経緯としてまとめると小学校のときに聞いたCDを覚えてて

AKB熱が冷めたときに、そういえばあの小学校の時に聞いた曲なんだっけ?って思って

調べたら歌い手がその曲を歌ってて「あ、あの小学生の頃聞いた曲だ!」みたいな感じで

セットで知ったんです。

そこから自分でもちょっとやってみようかなと思って中学三年の時に動画登校とかもしてみましたね。

ここから徐々に音楽の道に入っていきました。

5年前2013年の2月1日に「モノクロスロード」って曲を投稿してて

これが今残ってる最古の動画です。

ホントはもうちょっと前にもあげてたりすんですけど

なっとくいかなくて消しちゃったものもあって・・・(笑)

こんな感じで動画投稿とかは中学三年からやってたんですけど

LIVEとかってなると部活が忙しかったので当時出来なかったんですが

部活を辞めて、出来た時間で出てみようかなと思ってLIVE活動も始めました。

 

歌で人を元気にしたい

──LIVEはどうしてまた出ようとおもったんですか?

LIVE出ようと思ったのはまず第一に人に聞いて欲しいっていう欲求があって

大阪のなんばで初ライブに出て

そこで生の現場の楽しさも知り、そこから半年後東京でLIVEして

今ではライブ主催したり学校に行って学ぶぐらいのめり込んでいきました。

──今後の目標とかありますか?

ぼくのコンセプトとして「歌で人を元気にしたい」っていうのがあって

これをコンセプトに掲げてる理由が

僕がもともと耳が悪いっていうことが軸にあって

僕よりももっと耳が聞こえない人、目が見えない人、歩けない人とか

そういう人がいっぱい居ると思うんです。

もちろんそういったハンデが無い元気な方々も含めて

僕の歌で元気付けれたらいいなって思ってて

老人ホームとか小学校とか回って何かエールを送る活動が出来たらとは思っています。

僕がボカロで元気付けられたように、僕と同じようにサブカルチャー、ボーカロイドとかで

人を元気付けられたらいいなって思ってます。

けどジャンルにそこまで絶対って強く主張するほどのこだわりは無くて

歌う曲がJ-POPでも、なんでも歌う曲は全力で歌って

それを聞いてくれた人に少しでもエールを送れたらいいなと思ってこれからも活動を続けていきます。

取材日:2018/1/28